2026/08/09 撮影地:筑波実験植物園
シマクモキリソウ(Liparis hostifolia)は極めて希少な多年生地生ランで、現存する日本の野生集団は小笠原諸島の南硫黄島に限られる可能性があります。長く記録から姿を消していましたが、2017年、79年ぶりに生株が再確認されました。筑波実験植物園の展示株は、その再発見株から採った種子を人工繁殖した次世代です。環境省レッドリスト絶滅危惧IA類(CR)です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学名 | Liparis hostifolia |
| 科・属 | ラン科(Orchidaceae)/クモキリソウ属(Liparis) |
| 目 | キジカクシ目(Asparagales) |
| 和名 | シマクモキリソウ |
| 中国名 | 岛蜘蛛切草(統一された正式名はない) |
| 英名 | 主に学名で呼ばれる |
| 原産地 | 日本・小笠原諸島。現存野生集団は南硫黄島のみと推定される |
| 花期 | 資料は限られ、主に温暖な活動期に開花する |
| 果実の成熟期 | 授粉後に蒴果を形成するが、野外資料は限られる |
| 毒性 | 明確な強毒性記録はないが食用植物ではない |
| 薬用 | 信頼できる現代薬用価値はない |
| 特徴 | 南硫黄島に極限される可能性のある島嶼ラン。79年ぶりの再発見と、種子からの域外保全で知られる |
南硫黄島と再発見
シマクモキリソウの現存野生集団は、小笠原諸島の南硫黄島に極めて強く限定されると考えられています。南硫黄島は本土から遠く、地形の急峻な火山島で、歴史上恒久的な人間集落が作られませんでした。
海洋島では、海を越えて到達できたわずかな植物が定着し、大陸の近縁群から数千年、数万年以上隔離されます。長距離散布 → 島への定着 → 長期の地理的隔離 → 独自進化という過程が生じやすく、小笠原諸島は島嶼生物地理学と植物進化の重要な研究地です。
南硫黄島では、人間が定住する島のような農業、道路、都市開発、園芸植物の持ち込みが少なく、比較的原始的な島嶼生態系が残されています。その意味では天然の避難所ですが、一種の世界中の集団がたった一つの小島に集中すると、台風、火山活動、山体崩壊、極端な干ばつ、病気などの一度の偶発的事件で全体が影響を受けます。分布範囲の狭さそのものが、「一点の故障が種全体へ波及する」高い絶滅リスクになります。
筑波実験植物園の説明には、「2017年に79年ぶりに南硫黄島で見つかった」と明記されています。逆算すると前回の確認は1938年ごろで、その後は何十年も信頼できる再確認記録がありませんでした。
これは、植物が79年間消えた後に復活したという意味ではありません。実際には島で生き続けていたものの、交通が難しく急峻な南硫黄島を頻繁に調査できず、人間が長く確認できなかった可能性があります。長期間にわたって記録が途絶えた種が再確認された、典型的な再発見(rediscovery)の例です。
再発見後に野生株から種子を確保したのは、野生集団が一島へ集中する、いわば「卵を一つのかごに入れた」状態のリスクを下げるためです。説明には、「2017年に79年ぶりに南硫黄島で見つかった株から種子をとり、増殖した次世代株」という展示株の由来が示されています。
つまり、貴重な野生株そのものを掘り取って展示したのではありません。南硫黄島の野生株 → 2017年の再確認 → 採種 → 無菌発芽と培養 → 次世代株 → 展示という家系が追跡できます。この方法は野生個体へのダメージを抑えながら遺伝資源を保存し、野生集団に大きな事故が起きた場合に備える人工的な予備集団を作る域外保全です。
ランの種子は非常に小さく大量に作られますが、ほとんど栄養貯蔵をもちません。自然界では菌根菌が発芽初期の栄養を供給します。無菌培養では、糖、無機塩、水、適切な環境を培地で与えて菌の働きを代替し、少量の成熟種子から多数の幼苗を育てます。展示室の一面に並ぶ培養瓶は、単なる園芸設備ではなく、植物集団の一部をバックアップする保全設備です。
花・葉・種子
野外記録が少なく、花期の詳細は南硫黄島の気候と個体の生育条件によって変化します。主に温暖な活動生長期に、幅広い卵形から長楕円形の緑葉を少数広げ、その中央から直立する花茎を伸ばします。花茎の上部には、緑から黄緑色の小花が総状に並びます。
葉は株の大きさに比べて幅広く、表面は比較的滑らかで、葉脈がよく見えます。正常な葉緑素をもち自ら光合成できるため、マヤランのような高度な菌従属栄養ランではありません。
クモキリソウ属の植物は短縮茎または偽球茎状部をもち、水分と養分を貯えます。その周辺から葉、根、新しい生長点を発生させ、島の林床で起こる短期的な環境変化に備えます。
花は小さくてもラン科に典型的な特殊化を示します。細長い花被片が四方へ伸び、中央の唇弁は他の花被片とは異なる形へ大きく特殊化しています。その姿は蜘蛛の脚のように見えます。和名の「シマ」は島を、「クモキリソウ」は日本産の同属ランの名を示し、「島のクモキリソウ類」という意味に理解できます。
地生ランである本種の根は、林床の基質と腐植層に伸び、菌根菌と関係を作ります。成株は緑葉で光合成できますが、種子は栄養貯蔵に乏しく、発芽期には菌根菌の助けが必要です。「成株が自分で光合成できる」ことと、「幼苗期に菌の助けが不要」であることは同じではありません。
受粉後の蒴果は大量の粉状種子を放ちます。展示株の系譜は、南硫黄島の野生株、2017年の再確認、採種、無菌発芽・培養、次世代株という明確な保全履歴をもちます。
毒性と保全
明確な強毒性記録はありませんが、食用植物ではありません。最大の注意点は絶滅危惧IA類としての保全で、単一島に集中する野生集団へ接触・採取してはいけません。